私は観音参りに行くんです。
観音参りって呼ばれた人が行くんだよ。
観音様というのは草も木でも何でも救います。
救うというのは誰が救うんですか?
人がいないと神様は証言が出来ない。
観音参りをしている人、その中で縋って行く人間と呼ばれて行く人間がいる。
だから呼ばれない奴は行けないよ。
呼ばれて行くとはどう言う事ですか?
私は神様の役に立つために行く。
普通の人間は厄を落としに行く。
役立つ人間は何ですかと言うと、世間に戻ってきてもニコニコしているんだよ。
ブスっとして「ついてないんですよ」って言っている人がいたら
「そんなことないよ、ついているじゃないか」と教えてあげるのが天命なんだよ。
観音様の役に立つ。
役に立つ為に呼ばれて行く。
役に立つぐらいなんだから、
こっちが言った事ぐらいすぐに叶えてくれる。
すがって行っているんじゃない。
この前もある人が両目が悪くなったから観音参りに行ったけど、
私たち元気なうちから観音参りに行っている。
幸せな時から行っている。
観音参りはすがりに行く所だと一回も言った事がないの。
観音参りは元気でないと行けない。
お金がないと行けない。
暇があって、お金があって、体も健康、家も空けられないと行けない。
全部が揃った人だけが行けるんだよ。それだけで幸せなの。
疲れた時に通りかかった人が「大丈夫ですか?」と助けてくれた。
あの人が観音様の化身。
それなんですかというと、化身が出たわけでなく、そういう心優しい人がいたんだね。
観音様のお役に立つ人が出たの。
観音様の話をしているけど、キリストでもマホメッドでも誰でも良いの。
どこの誰でも同じ。
呼ばれてお役に立った人がいるんです。そのお役に立つ。
だから私たちは呼ばれないとといけないよ。
普通はすがる気になれば観音参りに行ける。
厄よけなら誰でも行ける。
私たちは観音参りに
「少しはお役にたてる事はありませんか?」といって出かけているの。
まるかんは仕事していてもそうなの。
少しでもお役に立てる事はありませんか?
それでも結果は神様が出してくれると信じている。
ただ天と約束して出てきた事はそういうこと。
だから天のお役に立ちますよと言って出てきたのに、
(役に)立たないから厄年と言うのがあってひどい目にあう。
お役に立っている人は「厄年」がくると急に飛躍する。
「厄年」というのはお役に立っているか立っていないのかが分かる年なの。
私たちは仕事が成功したといって天に帰るわけに行かない。
天に帰る時は「今までブスってしていましたが、少しは笑顔になれるようになりました」
困っている人がいたら「元気出せよ」とか言えるような人間になりました。
少しは人に「愛情を与えられるようになりました」といって帰ってきました。
成功とはそう言うもの。
土地を何千坪持ちました・ビルを持ちましたとかは向こうでは通らないんだよ。
それよりも年寄りに「おばあちゃん元気だね」って優しい事が言えるようになりました。
これが成功者なの。
私は一生懸命やっているけど完璧にできないからやり直しで今生生きているの。
人に対して少しでも笑顔を見せて、愛のある事を喋る。
一年前に比べたら少しは出来ている。
10年前とか5年前とか穴があったら入りたいぐらい恥ずかしい。
でも今は5年前よりはいくらかましになっているんです。
だから後何年か生きてもう少しマシになって故郷に帰るんです。
これが私の夢です。
さいとうひとり